イチローの名言に学ぶ、悔しさをバネにして努力することの重要性

勝利の喜びが、無安打の悔しさを超えることはない。(イチロー)

自分が思うようにいかないことが起こって、

「悔しい」

と思えるのって、一種の「才能」ですよね。

イチローのインタビューを見て、そんなことを思ったので、今回はイチローから、

「悔しさをバネにして努力することの重要性」

を学びたいと思います。

1.イチローを支えているのは「悔しさ」と「屈辱」

イチローのインタビューの発言を追っていくと、分かりますが、彼は、

「異常なほど負けず嫌い」

です。

ヤンキース時代、先発を外れたホワイトソックス戦で、

「ヤンキースの勝利が決定的になった8回に、先発メンバーを温存させるために、ベンチにいるイチローが代打に行かされたシーン」

がありました。

そのときの「悔しさ」について、イチローはNHK『プロフェッショナル』のインタビューでこう答えています。

まあ、悪い言い方をすると「屈辱」ですよね。

先発のメンバーは下がっている。

10日前に「4000本」を打った僕が、代打に出ていく。

もう試合は決まっていますから。

8回のウラで「あと残り守って終わり」というゲームですから。

僕の前に出た、代打に出ている選手たちは、

「メジャーで1本もヒットを打ったことのないルーキー」

ですよね。

要は、もう試合が決まっているので。

彼らがヒットを打って、僕が次の代打で「2アウト1塁」で行ったんですけど。

このことっていうのは、僕の中で、

「一生忘れない、忘れてはいけないこと」

悔しかったんですよね。

ライトフライで終わってるんですけど。

違う意味で、

「今までで、一番結果を出したかった打席」

だったんですよね。

ただ、このことっていうのは、

「この先の未来の僕を支えていくだろうな」

とは思うんですよね。

代打に出されたというのも、実は聞かれているんです。

「打ちたいか?」

って、聞かれているんです。

だから、「選択権」を与えられているんですよね。

「NO」と言うことももちろんできたし、

「おそらくNOと言うだろうと思って、聞いているだろうな」

というのも分かったんですよ。

でも、僕は、

「打ちたい」

って言って、行ったんですけど。

その自分は、嫌いじゃない。

そこで、逃げることはできたんですよね。

でも、僕はそのときに迷うことなく、

「打ちたい」

って言って、代打に行ったんですけど、その瞬間はとても辛い。

聞かれたことが辛い。

「良い結果や良いこと」で、僕は支えられているわけではないんですよね。

それなりの「屈辱」によって、自分を支えている。

そういうことによって、自分を支えてきたし、これからもそうであると思うので。

あの経験というのは、今現在の僕は、

「すばらしい瞬間だった」

と思っているんですよね。

(NHK『プロフェッショナル』のインタビューでのコメント)

この発言を聞いて、一番びっくりするのが、

「『良い結果や良いこと』で僕は支えられているわけではない」

っていうところですよね。

これ、めっちゃ意外じゃないですか?

あの天下のイチローですら、

「ふざけんな、このクソが」
「見返してやるから、今に見とけ」

という感情で努力しているわけです。

私はこの発言を聞いて、かなりびっくりしました。

私は勝手に、

「イチロー」=「ストイックに自分を高める職人」

というイメージを持っていたので、まさか、

「屈辱」によって、自分を支えている。

という思いがあったとは、衝撃でしたね。。

まあ、このエピソードって、イチローからしたら、本当に悔しいですよね。

ピッチャーで言うところの、

「敗戦処理」

みたいなものですもんね。

そりゃ、

「何で4000本安打の俺が代打で…」

という気持ちになるのは、当然といえば当然ですよね。

でも、イチローが本当に卓越しているのは、そういう屈辱的な状況であっても、

「そんなんだったら、俺は代打は行かない」

とふて腐れずに、

「打ちたい」

と言って、バッターボックスに向かったところですよね。

「悔しい」
「屈辱」

という出来事を経験した後に、そのエネルギーをプラスに転じることができるのが、イチローのすごさですよね。

普通の選手であれば、ふて腐れて代打は断りますもんね。

「悔しさをバネにして努力する」

というイチローの姿勢は、我々が見習うべきポイントですよね。

こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分ではない。

誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。

それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね

(日米通算4000安打を記録したときのインタビューでのコメント)

2.イチローにも「人に笑われてきた悔しい歴史」がある

「人に笑われた悔しい思い」をした後、何も感じない不感症の人って多いですよね。

「まあ、俺はこれぐらいでいいや…」
「どうせ頑張ったって無理だし…」

っていう心がマグロ状態の人って、結構多いですよね。

でも、イチローは、

「人に笑われた悔しい思い」

をした後、めちゃくちゃ努力したわけですね。

それを物語っているのが、イチローは目に涙を浮かべながら答えた、

「日米通算4000安打を記録したときのインタビューでのコメント」

です。

僕は子どものころから、

「人に笑われてきたことを常に達成してきている」

という自負はあるので。

たとえば、小学生のころに毎日野球の練習をして、近所の人から、

「あいつ、プロ野球選手にでもなるのか?笑」

って、いつも笑われていた

だけど、悔しい思いもしましたけど、プロ野球選手になった。

何年かやって、日本で首位打者をとって、今度アメリカに行くときに、

「首位打者になってみたい」

そんなときも、やっぱり笑われた

でも、それも2回達成したり。

常に「人に笑われてきた悔しい歴史」が僕の中にはあるので。

「これからも、それをクリアしていきたい」

という思いはもちろんあります。

(日米通算4000安打を記録したときのインタビューでのコメント)

やっぱりイチローのこういう発言を真剣に聞くと、

「悔しい」
「屈辱」

というエネルギーがいかに重要かというのが分かりますよね。

そして、普段クールな彼が涙を浮かべながら、語っているところを見ると、

「本当に凄まじい量の練習をしてきたんだな」

というのが伝わってきます。

それと同時に、誰かにバカにされたときに、「悔しい」と思えるかどうかって本当に「才能」ですよね。

「人に笑われても、別に悔しくも何ともない」

という人がほとんどですもんね。